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よい医者と悪い医者の見分け方を徹底解説

よい医者と悪い医者の見分け方を徹底解説
医師の資格とは
開業医でもさまざまな科の看板があげられていて、実際にどの病院を選んで行ったらよいか判断しにくい場合があります。どの病院を選ぶか、どんな医師を信じればよいか、それには次のような点を考慮してください。

日本の医師免許は、内科医の免許、外科医の免許、小児科医の免許…というように、各科別にあるわけではありません。医師国家試験に合格すれば、医師の資格が与えられるのです。

国家試験を受けた場合は、内科・外科・小児科・婦人科の4科目が必須科目で、その他に選択科目として、眼科・耳鼻科・整形外科の中から一つ、皮膚科・放射線科・精神科の中から一つがあらかじめ決められていて、合計6科目の試験を受けます。

つまり国家試験にパスするということは、医師の資格を取ることを意味し、試験科目になかった科の医師にもなれます。言い換えれば、医師としての基本知識の有無を確認するテストと言えます。

したがって何科の医者という免許ではないのです。そして医師は何科の医者になるかは自由であり、診療する科も選択ができます。極論を言えば、内科医や基礎の研究をしている医師が、心臓や肝臓の手術をしてもいいということにもなります。現代は転職の時代とも言われております。医師であっても途中で科を変える人も大勢います。

また、大学を卒業後も医学は日進月歩でどんどん進んでいるため、医師は勉強をしていないと、どんどん遅れていきます。

この卒後研修を重んじて、内科や外科など認定医制度や専門医制度が整備されています。

現在の学会の動きとして、この認定医や専門医を重視して、それらの資格を持つ医師の人数により、学会の認定病院に指定する方針のため、大病院にはこのような資格を持った医師が大勢います。そのような資格だけで医師を判断できないことは明らかと言えます。


よい医者と悪い医者
担当した医師が、みなさんにとって、よい医者か悪い医者かを見分けるのは簡単にはいきません。「病気を適格に診断し、治療する」ことは最低の必要条件で、それさえあればいいという方もみえるでしょう。

しかし、本当にそれだけでいいのでしょうか?たとえ、診断、治療、手術などがうまくいったからといっても、医師が不用意な言葉で患者さんを傷つけたり、説明が不十分なために、結果として、精神的ダメージを与えてしまうようならば、本当の意味でよい医者とは言えないと考えます。

やはり、診断や治療の技術も最高、話術も最高、病気もあっというまによくなり、精神的にもどこか幸せを感じて、「病気をしてよかった」とまではいかないにしろ、退院後の生活にも前向きに向かっていけるような医師が理想的ではないでしょうか。

ところで、WHO (世界保健機構)の健康の定義は、「肉体的、精神的、社会的健康」と定義されていましたが、1999年からはこれに「スピリチュアルな健康」という項目が付け加えられました。

「スピリチュアル」の解釈が難しく、いい日本語が見あたらないのですが、魂もうきたつようなやる気があるとか、生きがいのあるというような意味にとれるでしょう。

よって、生きる喜びを与えてくれるような医師は、最高ということになるでしょう。さて、よい医者であることの絶対条件はいかなるものでしょうか?

「患者さんの話をよく聞く」とか「病気の説明をわかりやすくする」とか「信頼できる」など、いくつかの点があげられると思いますが、 一言で言えば、「患者さんの身になって考えてくれるお医者さん」であると言えます。

人間は病気になると肉体的なダメージを受けていると同時に、精神的なダメージも受けていることが多いからです。あるいは逆に、仕事の問題、家庭や組織の人間関係、借金、失恋、親しい人との別離など、さまざまな悩みが原因になって、病気になってることも多いからです。

また、それらは時として、患者さん自身も気がついていないこともあります。もし、そうしたストレスから症状が発生するとしたら、その部分に光をあてて、なんらかの解決方法をみつけたり、ヒントになることを一緒に探さないと、結局、病気は治癒しないか、あるいはすぐに再発してくると考えているためです。

患者さんの身になるとは、まず真剣に話を聞くところから始まります。そして、できれば患者さんの望むような、痛みのない検査や、肉体的負担の少ない治療で完治できればいいのですが、そうはいかない場合もあります。そんな時にも、じっくり納得のいく説明をしてくれる医師がよい医者と考えられるでしょう。


気をつけるべき医者とは
以前から、偏差値重視の学校教育の問題点として、人間味のない医者が問題になっております。医学は進歩し続けるため、医師は常に勉強していなければなりません。医学の進歩のおかげで、医学教育の現場では本当に多くのことを覚えなければなりません。

国家試験にはずいぶん細かい知識がないと正解できない問題も多くあり、膨大な知識がないと合格できないようになっています。医学は進歩を続けており、毎年、毎年、その知識を吸収しつづけないと遅れていくということです。

しかし、生きた患者さんの診察や話よりも、国家試験の病名あてっこクイズのように、カルテに書かれた記録や患者さんの検査結果に、目がいきやすいことも事実。

これらのデータは、患者さんの病状を把握するためには不可欠ですが、ともすると患者さんをみないで結果だけみる傾向にありました。膨大な知識を詰め込む医学教育では、患者さんを診察することよりも、検査所見の読み方や診断までにいたる考え方に重点が置かれていました。

このような教育の結果、考えることが苦手になり、事故のように予期せぬ出来事に対処するのが苦手になります。さらに一歩進んで、生の患者さんからも病気のヒントを探し出すには、それ相応のトレーニングが必要です。

しかし、最近はこのような知識偏向型の若い医師がますます増えています。患者さんの言うことは聞き流し、あまり話を聞かないで、むしろ検査の結果を重要視して、結論を出してしまうのです。

その背景には、統計学的にはこうであるという裏付けもあり、診断もけっして間違っているわけではないのですが、知識だけで割り出してしまうと一様の答えになってしまいます。そして、患者さんを生きた一人の人間としてみるのではなく、疾患や病気になっている臓器のみ注目されます。このような医者は能率だけを優先させますから、面倒な患者さんや難しい病気を敬遠しがちになります。

よって、看護婦さんの仕事を増やすことになり、看護婦さんからは不評です。そればかりか、耳が遠く、理解するのに多少時間を要するご老人が何度説明を聞いても、同じ説明を繰り返し、最後には不機嫌になり、白衣を翻して、さっさと歩いていってしまう人もいます。

このような医者の場合、本人がどんなに技術的にすぐれていても、患者さんの満足度はどうでしょうか、十分に満足していただかなければ、その技術が活かされているとは言い難いことになります。医師も人間ですから体調の悪い時、気分の乗らない時もあります。

当直明けの時は、頭が回らず、うっかりしていることもあります。このような場合には、どこか不親切だったり、怒ってみえることもあります。患者さんは、ただでさえ弱者の立場ですから、そう思いやすいと思います。

問題は医者がそのような自覚がなく、各人はベストを尽くしているつもりでいる、というところにあるのです。よってこのような医師にあたらないためには、その病院の看護婦さんの評判を聞いておくのも一法です。